sc-006 松前君の兄弟の神殿の形 1' /大木裕之

鬼才・大木裕之による、21世紀のインプロヴィゼーション・シネマ

「神殿の形」をめぐるハード・シンキングの記録。それは、北海道・松前町を中心に展開する。立ち上がる映像は、語り、書き、歌い、移動しながら思考する作者の生なましい身体の運動そのものであり、見るものの意識と重なり合うことで、逆説的にフィクショナルな時空を形成していく。「松前君の兄弟の神殿の形 1+」を併録。



ISBN4-86219-033-2 C0870  3800円(本体価格)+ 税

帯文より

存在が立ち上がる、とてつもない美しさとして

 たえまなく立ち上がる、くりかえし存在は立ち上がる。映画はその瞬間をとらえるために発明されたメディアだった。たえまなく立ち上がる、そのたびに存在は一回かぎりの形をもって、世界にあらわれを果たしては滅していく。比較を絶した美しさとして、無数の神殿として、存在はバナルな日常のただなかから、奇跡のように立ち上がるのだ。大木裕之は映像を思考のためのきよらかな道として取り戻す。ためらうことなく私は言おう、これは神秘である。

中沢新一(宗教学者)
 

大木裕之 Oki Hiroyuki

1964年東京生まれ。高知県在住。東京大学工学部建築学科在学中より映画制作を始める。『遊泳禁止』(1989)が、IFF1990の審査員特別賞を受賞。その後、パリ・ポンピドゥー・センターなどで発表された『ターチ・トリップ』(1993)が注目を集め、高知県立美術館製作『HEVEN - 6 - BOX』(1995年)では 第45回ベルリン国際映画祭にてネットパック賞を受賞。90年代後半は、サンダンス映画祭、ロッテルダム国際映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭、 バンクーバー国際映画祭等、国内外の映画祭にて招待上映され、高い評価を得た。作品の形態は、ライブ上映、インスタレーション、パフォーマンス、ドローイングやペインティングなどにも拡がりをみせ、「時代の体温」展(世田谷美術館/1999)、「How Latitudes Become Forms: Art In a Global Age」(ウオーカーアートセンター・アメリカ/2003)、「六本木クロッシング」(森美術館/2004)、「マイクロポップの時代:夏への扉」(水戸芸術館/2007)、シャルジャ・ビエンナーレ2007などの展覧会に参加し、現代美術の領域で独自のスタイルを確立していく。ネパール、インド、中国、アメリカ、イスラエル、ロシア、コンゴなど、海外での制作経験も豊富であり、現在も国内外を移動しながら活動を続けている。

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http://www.arataniurano.com/artists/oki_hiroyuki/
 

大木さんのこと

大木さんと僕は編集作業のほとんどを会話と紙の上で行った。 そのためには2人共、60minテープ×9本分の素材のすべてのカットを、順番と秒数まで含めて把握する必要があった。 やり取りを円滑にするために、素材のほぼすべてのカットには、名前が付けられている。 名前を声に出して呼び、その位置を指定するために、また別なカットを呼ぶ。 あるいは、消す。 そういうやりとりは概念図やコンテシートのようなものよりももっと具体的で、カットに含まれる時間そのものに直接触るような、生々しいやり方だったと思う。 そうやってやり取りしたものを、実際に映像にするとき、大木さんはモニタの前で必ず、「今は見ない」と言った。例えそれが大きな変更であっても。 おもしろい、と思った。 タイムラインはほとんど映像で見られることなく毎日生み出され変更され続ける。 いや、見る見ないに関係なく、という方がしっくりくるか。 作業は、日のあるうちはスタジオの外で。 喫茶店、堤防沿いの路上、ファミレス、神社、歩きながら。 夜はスタジオに入り、その日生まれた兄弟の神殿に、形を持たす。 編集作業の日数ごとに新たな兄弟が生まれ、生み出した親となるカットを殺したり、互いを愛でたり、激しく移動したり、まるで生き物だ。 その運動には、終わりがない。 大木さんが固定しない、というよりも、大木裕之という人の頭の中で交配をやめない兄弟達が、どんどんと次の子を生んでしまうみたいで。 完成している暇がないのだ。 何千何百という兄弟達がザワザワと身を寄せ合って神殿を形づくる。 凄い速度で殺しあったり愛しあったりして、兄弟達の神殿は変形し続ける。 そのうちの一つ、2006年3月16日に出来た形が、このDVDに収められている。 サンプル版を観た時、あの一連の運動の中で何かが一瞬だけ形を持つ、その瞬間の展開図でも見ているような気分になった。 そんな風に残されるこの作品と、残す大木裕之という人を、改めて、おもしろいな、と思う。

2006年 6月 6日 
大垣  池田泰教
 
>>「松前君の兄弟の神殿の形」編集作業 の様子 写真レポート

松前君シリーズ について

シリーズの起原を探ると「松前君の日記帳」(1988)という作品を見つけることができる。これは、大学で建築学科に在籍していた大木裕之の卒業設計として提出されたものであり、北海道松前町の都市設計であった。それは建築図面の他に、架空の人物である「松前君」の視点からの景観が、漫画のようなコマ割によって描写されており、複合的な方法で計画が表現されていた。その翌年に、シリーズ1作目にあたる「松前君の映画」が制作されている。 初期のシリーズはフィルムで撮影され、元旦から行われる日記形式、そしてカメラ内編集による極めて身体的な即興性が特徴としてあった。毎年行われていたシリーズも96年で一度中断するのだが、02年の「松前君の死のための映像」から再開された。この年よりビデオカメラを使用するようになり、出演者を松前町に呼びよせて撮影を行うなどの変化がみられ、編集についても、過去のシリーズの素材をミックスするなど、従来の形式にとらわれないものに拡張している。 シリーズ13本目にあたる「松前君の兄弟の神殿の形 1'」での撮影は、2006年1月22日から1ヶ月以上に及び、松前町の他にも函館、札幌、東京、高知などで行われている。

松前君の映画

180min./8mm/1989
松前君のための映画 80min./8mm/1990
松前君のなるための映画 90min./8mm/1991
松前君の旋律 50min./16mm/1992
松前君の後輩の映画 83min./16mm/1993
松前君の兄弟の映画 17min./16mm/1994
(松前君の調教) /1995 
松前君の愛の映画 2min./16mm/1996
松前君の死のための映像 68min./VIDEO/2002
松前君がなるための死後のフロー 83min./VIDEO/2003
松前君の旋律2 104min./16mm/2004
松前君の計画と荒廃の精神 104min./VIDEO/2005
   
松前君の兄弟の神殿の形 1' (060316MIX)  62min./VIDEO/2006
松前君の兄弟の神殿の形 1+ (060617MIX) 17min./VIDEO/2006




Publication Date: August 1, 2006
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