作家Q&A:真田 操
作品は大きく中国のチベット自治区とネパールで行われていますが、
これらの国で撮影することになった経緯を教えてください。
2001年、ネパールに初めて来た時にその地を旅をする中で「3rd」というテーマを見つけました。漠然とした「3rd」というテーマを探ることが、そこから始まりました。「3rd」を探る中でいつしか、「ヒマラヤ山脈を家の屋根に見立て、その屋根の下に住むこと」というのが私の作品となってきました。
「3rd vol.2 2つの光の家」が作られる時、私がネパールとチベットに偶然いたということがその経緯に過ぎないのですが、(インドや中国雲南省、新彊ウイグル自治区など、またヒマラヤ山脈から流れる川下に広がる地域もイメージしていました)
作家自らの内なる力とまた、撮影する期間中での出来事や出会い、それらによる変化、そしてこの旅や創作活動を見守ってくれる力が、このたった2ヶ月足らずの期間を作品へと完成させることになったのだと思います。
作家自身もまたこの時期に、どうしても個の存在というものとその理由、そして時間へ空間へと広がる関係性/社会や世界や宇宙ということを既成の概念を打ち破り自ら立て直さなければなかったということも作品化への重要な要素でした。
私は現在中国は山東省に子供たちと配偶者と住んでいますが、「3rd vol.2 2つの光の家」という心を抱く器とも言える地だと思っています。だけど皮肉にも「つながり」を自ら否定するような風潮や出来事ばかりで、自らその心を蝕み、さらにその心を抱くはずの器はすでに大きな国際問題となって破壊に瀕しているようにも見えます。
これはまた、どういうわけか日本人として生まれ今を生きる私自身やまた同世代の人たちを映す鏡のようにも見えてきます。ネパールやチベットという地とこうして作品を通して出会ったことは、私の宿命だと思っています。
この作品の制作後、真田さんはどのような活動をされていますか?
具体的には、できてきた作品が真田操によるものと言えないような、いわば私に憑依した者の仕業だと言えるような創作活動に自然と入ってゆきました。日々生きているこの状態も、悩みや苦しみや悲しみも自分のものとは思えず、喜びなどもまた同じように私のものとはもはや思えません。これは、個人表現(死ということも含めて)というある究極の自由を獲得しつつあると気づいた人間が、その歓喜の歌を宇宙の全存在と大合唱するようなものかもしれません。それはまたこの中国にいて、共産主義や社会主義という中でのひとりひとりの生のあり方、また、チベット仏教などから高度な精神の世界で得られるのであろう個の消失というものと共鳴してゆきます。そして、ひとつの家族、家へ帰り、命というものが包まれている薄い膜を出たり入ったりして、私の手で創造されるものは何なのか?を探りつづけています。
2008年、チベット争乱が起こりました。そしてネパールの王制が廃止されました。真田さんが訪れた頃のチベット、ネパールの印象を教えてください。
私は2001年のネパールやインドの旅の時点で、2つの限界を感じていました。
ひとつは、自分自身の感性の限界と相まって、旅に何かを求めるという行為自体に萎えていたということ、私の旅は終わっていたとうことです。もうひとつは、宗教的な地に生きる多くの若い人たちが絶望しているということです。
ひとつめに関しては、おそらく自身の家族のゆらぎが影響していたのではないかと思います。目前に広がるどんな光景も私にはゆっくり眠れるベッドのある暖かい家に見えるような、そんな感覚でした。
ふたつめは、聖地に生まれ生きるということと、そこへどんどん入ってくる物質的な生活との狭間で、若い人たちの心は分裂していたというのが私の印象です。そして、聖地ゆえの物質的遅れのため教育などが不十分だということも悪循環を招いています。
これは逆にすると、中国がダライラマなどを恐れることともつながるでしょう。
精神的な暮らしと物質的な暮らしの豊かさの基準が逆さまなのです。
この戦争は、そういう戦争だと思います。
豊かさ幻想などの夢の終点がココにあるのかもしれません。もしくは、魂のバージョンアップペリオッドでしょうか?
作品には、チベットで印象的な青年が出てきますが、彼とはどこで知り合ったのですか?今、彼はどうしているのでしょうか?
彼とは、ラサの街旧市街の道で出会いました。私は、この人がアーティストかデザイナか何かだと思って声をかけました。それはきっと、民族衣装とパシミナをさらっと気軽に身につけて、いつも道をぷらぷらしていたからでしょう。
彼は「3rd vol.2 2つの光の家」という作品内で見てくれた人にどういう印象を抱かれているのでしょうか。彼は英語が流暢で、とても聡明な人です。私の手が届くところに下りて来た天使のような人です。
今もときどきe-mailをくれますが、一度は本気でモンク(チベット僧)になるべくお寺に入ったり、今は結婚したくなるような女性と一緒いるようなことを言っています。彼の心は引き裂かれていますが、私と会っている時は、暗いベールを脱いでキラキラした瞳の光を見せてくれました。
彼とは「3rd vol.2 2つの光の家」後も様々な出来事を共有しています。悲しいこともあったし、驚くような発見もしました。
私が2004年に中国の北京へまた訪れたのは、そして、中国で生活してみようと思ったのは、彼との関係の中で発見してきたことが大きく影響しています。
真田操 Q&A
2008年7月
構成:SOL CHORD