作家Q&A:有川滋男

 

"NEW WORLD WATER"の撮影や編集について教えてください。
また編集中に追加撮影するといったことはありましたか?

撮影に一年、編集にニヶ月ほどかかったように思います。この作品に関しては、撮影しながら徐々に全体像を形づくるというやり方をしました。つまり、演劇性の要素がない(と思われる)日常の映像を撮りためると同時に、作品に流れをつくりだすための、意図的に状況が設定された映像を撮っていきました。わたしは、どの作品でも、撮影段階で撮ったものををみることはなく、編集の段階ではじめて撮ったものをみます。これがよいのかどうかは分かりませんが、わたしにとっての映像作品の全体像は、最初から最後への移行のイメージの集積なので、全体像が明確になった段階で、なにかが足りなくなるということはほとんどありません。また、編集作業は、撮影中に形づくった全体像を解体して再構築するものです。

この作品はほとんど「実家」で撮影が行われているようですね。
家族の方には撮影時に、この作品についてどのように説明したのですか?

なにも説明していません。この作品で、「実家」「家族」を撮ることになったのは、それまで一人暮らしをしていましたから、四年ぶりにその場所に帰ってきたときの違和感を少しでも和らげたいと考えたからです。それにはビデオカメラは有効でした。ビデオカメラという異物をその場所に持ち込むことで、わたし自身がその場所にとっての異物であるという事実を、もはや覆い隠すことはできません。しかし同時に、時間が経てば、カメラだけでなくわたし自身も身にまとった違和を失ってしまいます。一年間という期間で「実家」は「わたしの場所」になりましたし、家族にとって、わたしが常に手にしてうろついているカメラは、まるでメガネのように気にならないものになっていたと、わたしは感じます。

いわゆる「演技」についてどのように考えていますか?
カメラの前でのさまざまな振る舞いは何を根拠に形成されているのでしょう?

カメラの前においては、純粋たるドキュメンタリーも、純粋たるフィクションも、ありえないということはもはや疑いようもありません。となると、わたしにとって"NEW WORLD WATER"で興味深いのは二つのシーンです。一つは、家族が食卓を囲んでいる一連のシーンで、もう一つは、薄暗い部屋の中を三人の男たちが踊っているシーンです。これらは、とてもフィクショナルなものに見えますが、パンをかじる姿を撮影しているカメラがあったことを、わたし以外の家族は知りませんでしたし、ひどく酔っぱらった三人の男たちは、カメラが置いてあることを忘れ、飛び跳ねている最中に三脚を倒してしまったのです。わたしたちの無意識の連続した動作のなかに、突如現れる意識的な"振る舞い"こそ、(しかし、この"振る舞い"は常に無意識の動作に回収されるのです。)"演技"の始まりであり、カメラの再現性はそれを誇張して提示します。

SOL CHORDのメンバーが、"NEW WORLD WATER"をポスト・セルフドキュメンタリーと表現しましたが、そのことについてどのように感じていますか?

これは興味深いひとつの視点だと思います。いわゆるセルフドキュメンタリーといったものがどういうものなのか分からないので、的外れな答えになってしまうかもしれませんが、「私はこういう人間です」だとか「私はどういう人間なんだろうか」とか、そういった"セルフ"的なニュアンスは"NEW WORLD WATER"にはないと考えます。また、そういう"セルフ"感は極力排除したいと、この作品については思っていました。わたしがつくりたかったのは、ある普遍的なものにたいする一例としての"わたし"であり、そういう意味では、ポスト ・ セルフドキュメンタリーというのも間違ってはいないような気がします。

"NEW WORLD WATER"というタイトルについて聞かせてください。
作品のタイトルは通常どのようにして決めていますか?

Mos Defという人の同名曲からのタイトルです。NEWとWORLDとWATERの組み合わせの絶妙さと、その響きが好きで、作品の構想ができるまえからこのタイトルに決めていました。わたしの場合タイトルは、その作品の漠然としたイメージを、さらに拡大すると同時に、限定するようなものをつけようとします。作品が出来上がってからタイトルをつけるときには、だいたいそのように考えます。今回のように、曲名などから決めるのもおもしろいのですが、わたしはHip Hopが好きなので、曲名が"アレ"やら"アレ"のものが多くて困ります。

次回作のプラン、現在の映像表現における興味について教えてください。

いくつか構想がありますが、そのうちの一つはすでにタイトルが決まっていて、"キイドア"というものです。また別の作品では、ロードムービーのようなものを撮ろうと考えています。わたしの興味はつねに、"時間"にあります。これは映像表現といういぜんに、わたしが生きているうえでの大問題です。ですから、"時間"を考察するうえでも、映像が示唆しているなにかを、丁寧にすくいとっていくことが重要だと考えます。

有川滋男 Q&A
2008年
構成:SOL CHORD 

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