作家Q&A:木村悟之
この作品のルールとはどのようなものですか。
ルールは、撮影する時間、場所、方向をあらかじめ数値で決定する、というものです。
撮影者は、自分の家を出発し、GPS受信機に表示される緯度、経度の数値をたよりに移動を続けると半径3km の円を描いて出発地点に戻ることになります。
この円周を36分割した地点で、40分(24時間の36等分)ごとに20秒間、進行方向に向かって撮影します。
例えば撮影日初日、家の前で1カット目の撮影を終えた撮影者は、「えーと次の20秒は、0時40分、N35°23‘33.0“、E136°36‘39.0“の場所で、100°の方角に向かって撮影するのか」という風に確認して、その場所へ移動しつつ撮影を進め、これを24時間後に再び自分の家の前に戻ってくるまで続けます。
なぜ、そのようなルールを使用したのですか。
旅行中とか、家の周辺でも夜中に散歩してると時々体験するんですが、
そういう時にいつの間にか陥っている、ある身体感覚に興味があります。
何度か見ているはずの風景であってもまったく違うものとして見えてしまって、混乱してしまうような感覚です。
最初に、その感覚に至るまでの身体的な変化とか、ふいに遭遇した「未知なる風景」に対する身体的反応を記録したいと考えました。
今回のルールがさっき言ったようなものになった理由のひとつは、“移動しつづける状態”を強いる事で、
撮影者をそのトランス状態のような感覚に陥らせることができると考えたからです。
単に移動場所を指定するのであれば、通常の地図を用いて〜県〜町〜番地といった住所を使えばよかったのではないでしょうか。わざわざ緯度や経度を用いて数値によって場所を指定し、GPS受信機を使って移動したのはなぜですか。
今回の場合、自分でルールを考えて自分で撮影するというつもりで最初からやっていたので、
撮影する段階で、さっきいったようなトランス感覚に陥ったり、ふいに「未知なる風景」に遭遇したりするのに、移動場所を
指定する時、自分がその場所の風景なんかをなるべく予想できない方がよいだろうと、まず思っていました。
でも、地図を広げてじっくり見ていると建物の名前とか道路の名前で結構予測できてしまう場所もあります。
それで、たまたま借りる事のできたハンディGPSというのが、地形や住所などの書き込まれた地図情報を入力できず、
ほとんど緯度、経度、高度といった数値のみで場所を表示するものでした。
その携帯電話くらいのサイズのハンディGPSを手に持って、数値を見ながら歩いてみると、
普段、特定の建物とか店の看板とかを目印にして歩いているのとは違う実感がありました。
また数値を基準にした場合、次にどんな撮影場所が来るとしても自分には予想できないとも思いました。
それで、緯度経度の数値を基準として空間を把握するGPSの“数値空間”に注目し、
その数値の操作によって撮影場所を指定するという手段を選びました。
撮影場所だけでなく、時間や方角まで規定したのはなぜですか。
“移動しつづける状態”を保つ上で、そもそもなぜ、ピンポイントに場所を指定するような厳密なルールが必要だったのでしょうか。
「未知なる風景」に対する作者の身体的反応を、高い純度で記録するにはどうすればいいかを考えて厳密なルールが必要になりました。
だから今回は撮影者が、自由にその場、その場に対応して、作者の嗜好も伴って次の移動場所を決定していくのではなく、
むしろ作者の嗜好に沿って選択する余地をできるだけ少なくしたいと考えました。
この作品において「カメラ内編集」とはどのような作業になりますか。なぜ、そのような手法を用いたのですか。
「カメラ内編集」という言葉は、撮影と編集を同時に行うという意味で使っています。
撮影した映像を“素材”としてではなく、そのままの状態で“作品”として扱います。
この作品では、1カット20秒という規定があるので、
作業としては1カット撮影後すぐに録画開始から20秒のところに合わせて、超過した分は次のカットで上書きします。
あらかじめ規定した撮影時間、場所、方向以外の規定しきれなかった部分を無理矢理にでも探したりして、
即興的に前のカットとなんとかつながるように考えていきました。
どうしようもなくなって録画開始を一分ぐらい待ってしまうようなルール違反を犯したりもしています。
そういう緊張感や無理矢理な感じが、より純度の高い身体的反応を記録するのに効果的だと考えました。
作品中、撮影者は何度も、電動ドリルで壁や地面にねじを打ち込んでいます。
なぜ、そのようなことをやっているのですか。ねじを打ち込むのに何か決まったタイミングがあるのでしょうか。
これもルールのひとつとしてあらかじめ決めていたことなんですが、
撮影者は24時間で半径3km の円周を移動することになっていて、
この円の90度ごとの撮影場所で、壁や地面にねじを打ち付けること、としています。
10度ごとに撮影が行われるので、9カットごとにねじを打ち付けるカットが出て来ます。
理由はちょっと観念的になってしまいますが、この「ねじ打ち」は、
撮影者が移動する際に基準としていたGPSの“数値空間”と実際の環境とを重ね合わせるために行います。
その結果、ねじが痕跡として残ります。再びその場所を訪れたとき、かつて打ったねじを見ると、
今まで移動してきた時間的な流れがパッと平面的な俯瞰図に切り替わって「あぁやっぱ円だな」と実感します。
この感覚は、映像作品としてモニターで見ている時にも感じます。
今回のタイトルには「軌跡映画1」とあります。さらに「track 1.1」や「track 1.2」と分かれています。これらの番号はどのように使い分けていますか。
「軌跡映画1 Cyclops」は、撮影の日付ごとに分離した4つの部分によって構成されています。
「track 1.1」は2004年10月29日に撮影され、「track 1.2」は10月31日に、
「track 1.3」は11月2日、「track 1.4」は11月4日に撮影されました。
一日撮影して、一日寝て、また一日撮影して、一日寝て、と言う風に繰り返しました。
この作品は、「軌跡映画」という表現形態に基づくシリーズにおける、はじめての作品です。
「軌跡映画」は、撮影者を時間と場所、方向を決定するルールによって拘束することと、
移動によって変化する環境と撮影者の身体的反応によって展開する実写映像作品であること、によって定義づけられています。
木村悟之 Q&A
2008年
構成:SOL CHORD