寄稿ーエッセイ

「前田さんのトーン 世紀末のシーン」

“思い出を記憶と分かつものはなにもない"
「ラ・ジュテ」(1962)
「イノセンス」(2004)

前田真二郎さんと知り合ってから長いことに気づく。1990年代後半からはイメージフォーラムのディレクター時代に出品作家として、また制作講座の講師として。その後、僕がフリーランスのキュレーターになった2011年以降には、展覧会のゲストトークにお呼びいただいた。(2014年、岐阜県立美術館での映像展「記録と行為/映像表現の現在形」)一通り仕事が終わって、打ち上げで楽しく呑んだ帰り道、僕は初めて“代行”体験をした。馴染みのない地方都市の夜道をぽかんと眺めているうち、なんだか前田作品「オン」みたいだなと思った。2020年以降、コロナ禍において徐々に“地方の時代”的ムードが囁かれ、実際に東京から移住した知人もいる。知人や、SNS広告に現れる移住組の雰囲気、ささやかな幸せ感というのか、そのトーンが「オン」以降の前田さんの映像から感じられることに気がつく。前田さんのライフスタイルが四半世紀早かったのか、はたまた天災が起爆剤になって都会に執着することから自由になり得ているのか自分には想像できないが、今回、前田作品のトーンを考えるきっかけになったことは間違いない。

「オン」は今見返しても不思議な映画だ。日記的な記録でもないし全て演技をつけているともいえない。でも心地よい。
登場人物は会社や学校の組織の雰囲気でもなく、家族や恋人みたいなステディな関係でもない。だが幸せそうである。見ていて心地よい。世界情勢の諸々の不幸や個人のタフな状況について深刻ぶった表現をすることは実は簡単だ。困難こそあれども。逆に、幸福をアップデートして表現することは非常に難しい。
人々の動作の音がクローズアップされてセリフは一切ない。現場の音なのか現場内で鳴る音なのかBGMなのか判別しない。それがまた心地よい。オフの音かオンの音か幻惑させられる映画には独特の快感がある。ポール・トーマス・アンダーソン(音楽ジョニー・グリーンウッド)の映画はその典型だと思うし、細馬宏通さんが美学校のトークイベントで指摘した「ゼロ・グラビティ」冒頭も美しい。「映画よ、さようなら」でホルヘが街を歩いているときの音は心象なのかSEなのか名画の引用なのか今でもわからない。だがそれがいい。
「オン」の音も画も感覚的な編集といえる。前田さんにお聞きしたら、「Braille」や「王様の子供」制作時はHi-8(ビデオテープ規格のひとつ)でリニア編集だったそう。音楽担当のハラカミレイと一緒にテープのダビングとアフレコ作業のスタイルで完成したものだったが、「オン」では前田さんが出始めのノンリニア環境で画も音も等価に扱って完成させたという。

ハラカミレイさんはテクノミュージシャンとして知ったのが最初で、「UNREST」を聞いていた後に前田さんや山本信一さんの映画音楽で再認識したのだった。それからしばらくして、映像作品「ヴォアイアン」を拝見し、映画作家→音楽家としての転機を知ったのであった。
映画から音楽へのジャンプは大それたものではない。リニアなテープを行きつ戻りつ、アフレコとダビングを経由して一つのtime based media を送り出すことは前田さんにもハラカミさんにも自然な行為であったと想像する。そんな90年代半ば。日本においては89年よりも95年が実質的な21世紀の始まりといえるのではないか…

これまた前田さんとオンラインで雑談しているうちに知ったのだけど、2人共ほぼ同世代で95年前後の社会の激変期に個人的にも変化を経験している。
1.雑誌メディアのピーク インターネット元年
2.東京都写真美術館 東京都現代美術館 開館 
3.コマーシャルギャラリー開廊 ( Taka Ishii Gallery (1994) Tomio Koyama Gallery (1996) ShugoArts (2000) など )
4.松本サリン事件 阪神淡路大震災 地下鉄サリン事件
バブルなるものが終わったらしく、幼少期に信じていた”明日は今日より豊かで楽しい”みたいな呑気な気分は消え失せ、でも空元気と個性や自由の盲信だけが澱のようにべったり残っていた時代。ハラカミさんは音楽をアウトプットにした。前田さんは東京のプロダクションから岐阜のIAMAS(情報科学芸術大学院大学)へ教員の道へ進んだ。
当時、前田さんは自身の作品のアウトプットに不安を抱いていたという。8mm, 16mmフィルム、ビデオテープ、光学ディスクなど多くの記録メディアに触れていた作家の予感もあったであろう。加えて、イメージフォーラムが1994年に「日本実験映画40年史」という、公開当時現存する最古の実験映画とされた「キネカリグラフ」(1955)を起点とした戦後の実験映画の特集プログラムに彼の作品「VIDEO SWIMMER IN BLUE」もプログラムされた。
センシティヴというかシニカルというか… 前田さんはそのパッケージングに“実験映画の終わり”を予感し(!)「この先どうしようか」と一抹の不安を覚えたそう。
本人談にもあったが、画面のビジュアルエフェクト思考から、実写の持ちうる記録性へ、また、現代美術が先行する映像インスタレーションや、パフォーミングアーツなど他ジャンルへの接近へとトライの先を模索していく。

そして自主レーベル「SOL CHORD」立ち上げも、この先どうしよう…のアンサーのひとつと理解すると合点がいく。定期上映、特集上映のオルタナティヴとして。劇映画やアートピースでなくてもコレクションできるブツとして。書店やレコード屋さん、美術館や図書館で点在できる複製として。音楽シーンがそうであるように、作家がレーベルを作って次代の作家をフィーチャーしていく… はず。「オン」完成後に夢想したビジョンは5年後、2005年10月に” 撮影行為とアートを結ぶ、DVDレーベル”としてスタートした。(同年、米国で動画配信サービスYouTubeがスタートした)

「オン」で着想された“まなざしのコンポジション”(SOL CHORD website作家Q&Aより)が、映画のタイムラインにおけるリニアな配置から、コンポジションの風呂敷が広がっていったように感じる。
BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW」で他の作家との言葉のやり取りによる受注方式を発明し、「日々」では天体の自転/公転による特定の時間を根拠にした即興記録を現在も続けている。言い換えれば、広げた風呂敷に格子模様が入っている。日時の格子、話者の格子、場所の格子。
実際、「BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW」はサイト上で格子にランダムアクセス可能だ。しかし、これはやはり圧縮編集された映画の時間を観客の実時間と重ね合わせる“上映”行為がベストだと思う。15秒や5分といった時間の格子(ルール)を一定のパルスとして知覚しているのに、個々の画/音の情報で経過時間に生っぽい伸び縮みが生じる、気がする。奏功するのは箱の力と声の力だと思う。

トークや寄稿で度々引き合いに出すのだけれど、デジタル制作環境になって増大したFixワンショットの長回しによるスタティックな映画、僕はこれらを「焚火映画」と呼んでいる。凝視しているうちに画面から意識が離れて今日の夕食のことやら今月の〆切のことやら考えたりするも自由な映画。でも個室のPCでいつでも眼を離すことが可能な条件では得られない感覚を持つ映画。
前田さんの長編は長回しではないけれども同一コンセプトで続く故、焚火効果が得られる。そして声の力。隣のテーブルの噂話が耳について離れないアレ、も映画館という自由を奪われた公共の場にいてこそ注視できるのではないだろうか。映っている画から離れつつ、声に囚われる。矛盾しているようだけど妙な安心感がある。「BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW」はそういう映画の魅力のひとつを備えているように感じる。東日本大震災の年にスタートした事も重要で、当時の「みんなどうしてる?」な対話と、現在の「あのときどうだった?」は日本在住者に刻みついたものであるから。
この先どうしよう… の答えの中に、クラシックな「上映」が生き続けていることは間違いなく、銀幕(スクリーン)、銀板(Blu-ray)、銀の盾(YouTube)が、多少の無理がありつつも共存できる社会であってほしいと願うのみである。

澤隆志(キュレーター)

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